実践・体験

“ 親切”を感じた日々

金森淳哉

「親切で優しくありなさい。親切とは盲人に見えるもの。聾者に聴こえるものである。」
(インスパイアリング・メッセージvol.1  P94)

インドの聖者ヴィヴェーカーナンダの教えの一つに、このような言葉があります。
私は闘病生活を送る中で、この教えの“親切”という言葉が、正に本当であると学び感じた体験がありました。
私は目の治療をしている過程で、両目が見えない状態の中で生活する経験をしました。この時は何をするにも一人で行なうことが難しく、移動する時や食事、トイレ、入浴などの様々な場面で、家族のサポートが必要な状況でした。その中で家族の献身的な支えを受けながら生きる日々に、家族からの愛情と思いやりが伝わってきて、家族の心から尽くされた行為に、“親切”という言葉に込められた真心の行為を深く感じました。

入院中から自宅療養中も、ずっと側で私を支え続けてくれていたのは妻でした。妻は、どんな時も変わらずに明るく私に接してくれていて、痛みをともなう治療にも、私は前向きな気持ちで臨むことができました。また目の症状の急変で、眼痛や頭痛、吐き気などの発作症状と闘っている時には、私の背中を摩りながら、励ましの言葉とともに気持ちを癒してくれました。
一人で移動ができない時には、腕を持たせて一緒に歩いて安心感を与えてくれました。トイレやお風呂場でも困らないように、物の位置などを細かく伝えてくれました。また、食事にも気を配って症状が良くなるように努めてくれていました。目に良いとされる食材で献立を考えながら調理して、料理や器の位置などの説明もしてくれました。妻は私が見えなくても不自由をしないように、快適に暮らせるよう誠心誠意を尽くしてくれていたことをすごく感じました。

また妻の両親と私の両親も同じ思いで接してくれていました。両親たちは通院にかかる移動が体の負担にならないように、送迎を代わり交代で助けてくれていました。手術を受ける際には眼の神様が祀られている神社で祈祷してもらった御守りを私に手渡してくれて、応援の言葉を掛けて度々の手術に送り出してくれました。入院時にも栄養のある食べ物を差し入れして、付添入院をしてくれている妻と私の心身を労ってくれていたことに、両親たちの深い愛情を感じました。

そして離れて住む家族グルバイ(ヨーガの家族)からの言葉に私は、心を勇気付けられ治療に向き合う力を与えてもらっていました。
「必ず、見えるようになる‼︎」
「毎日、祈ってる‼︎」
と、私の快復を一心に願い続けてくれたグルバイからの優しい思いや言葉の数々を、妻から聞かせてもらう度に、喜びと嬉しさが込み上げていました。
私はこの日々の中で、たくさんの人たちの優しさに触れながら生きていることを痛感して、感謝の気持ちでいっぱいでした。妻や両親、グルバイからの心から尽くされた親切の行為に、“あたたかさ”がすごく胸に伝わってきました。
この時の私は、家族の顔や表情、姿を目で見られたわけじゃなかったけれど、家族の存在から優しさが溢れ出ているのを感じて、私の心の目には親切の行為が見えたように思いました。
たとえ離れた場所にいても、その存在は距離も超えて、グルバイからの祈りは私の心に届き伝わっていました。私は、たくさんの家族からの愛と優しさに包まれ、心が満たされているのを感じて幸せな気持ちでした。

数カ月間に及ぶ入退院や手術、治療を経て目の状態は少しずつ回復して日常生活に戻りつつあります。この間に、学び感じたヴィヴェーカーナンダの教えから、家族が私にしてくれた親切の行為を、今度は私が誰かにできるようになりたいと強く思うようになりました。
そして、私が今働いている福祉施設には目の不自由な方、耳の不自由な方など様々な障がいを抱えている利用者の方がおられます。その方々の生活の困りごとをサポートするのが私の仕事です。これからは私自身がヴィヴェーカーナンダの教えを生きる。「親切で優しく」、目の前の人のために心を尽くして働きたいと思います。

ヴィヴェーカーナンダ

追記
この文章は昨年、療養中に作成したものです。
闘病生活を送る日々の中で、今この瞬間に感じていること、感謝の思いを何とか形にして残し伝えたいという一心でメモして書き綴っていました。
ヨーガの家族からの祈りの思いに支えられて病の治療に向き合う力を与えてもらっていました。
グルバイに感謝を込めて。

2025年の瞑想専科「真理のことばに瞑想する」では、金森さんが「本質に迫る瞑想」というテーマで実践・体験された内容を語ってくださいました。その時の音声を配信させていただきます。