師の導きと恩寵

サンプルページ:師の存在と教え
師から直接ヨーガ、真理を学ぶ場であるサットサンガの記録から厳選した内容を編集。質問者のさまざまな疑問に応えるシュリー・マハーヨーギーの明解な教えと具体的な導きを掲載しています。

プラナヴァ・サーラ

2019年11月25日(月)

一昨日開催された師の御聖誕祭に合わせ、台湾からは17名の弟子たちが京都を訪れている。この日は彼らのために、マハーヨーギー・アーシュラマでサットサンガが開かれることとなった。
緊張と高揚した気持ちとが入り混じる中アーシュラマに到着すると、まるで異空間に入ったかのような、その神聖な雰囲気に圧倒され、皆は自ずと言葉少なになる。曇っていた空から暖かい日差しが差し込んで二階の間を照らすと、皆の緊張も少しほぐれたようだ。
程なくして、ヨーギーはお姿を現された。

人生における本当の仕事

イジン「イジンと申します。(隣に座る女性を紹介しながら)彼女は私の姉で、イジェンです。私たち二人は歌手で、今音楽活動をしています。どのようにして人生の正しい目標を設定すればいいでしょうか。 大きな舞台で自分の最大限の力を発揮して、自分の音楽を通して真理を他の人と分かち合うことを目標にしてもいいでしょうか。どのようにすれば純粋な状態を保てるのかをお聞きしたいです。最初は自分の心は純粋であっても、次第に不純なものが入ってくるかもしれません。どうすればいいでしょうか」

ヨーギー「人生においての本当の仕事、本当の目的は、真実を悟ることです。音楽であれ、他の仕事であれ、それらはこの体を維持していくための二番目の仕事です。だから自分自身の中に在る真実を見つけて、実現することを怠らないで続けていったら、その音楽の方にも良い影響が出てくると思います。将来音楽家として成功しても、あるいは時々失敗しても気にしないで、自分の信じるところをやっていけばいい。あなたの中に在る真実、それがいちばん大事です。こうして増えたたくさんの仲間も、あなたのとっても良い協力者になるでしょう」

イジェン「ニューエイジの本に書かれているのですが、もし何かが欲しいなら、それをずっと思っていれば自分の元にくるという引き寄せの法則を、以前から信じていました。でも今ヨーガを学んで、自分が信じているものとヨーガの教えがぶつかっています。引き寄せの法則を信じ続けてもいいのかどうか分かりません」

ヨーギー「ヨーガの教えの中に、ヤマ・ニヤマ(禁戒・勧戒)というのがあります。知っています?(イジェン『はい』)OK。その中に不貪という貪る心をなくすこと、それから所有欲をなくすということがあります。もし不貪という行を徹底して質素にやっていくならば、あらゆる宝石とか宝物が自分の元にやってくるという結果が生まれます。つまり心が何かを要求して何かを求める、引き寄せるという行為は、カルマになるのでしない方がいい」

イジェン「もし引き寄せの法則を信じなくなったら、自分が欲しい結果は出てこないかもしれません」

ヨーギー「そんなことはないです。それは心の中に信念をもっていれば、やってきますよ」

イジェン「では、今は何を信じたらいいですか。どのように考えたらいいですか」

ヨーギー「自分自身を浄化すること、つまり真実を実現することです。そこにすべての答えがあります」

イジン「真実を実現するために具体的な方法やお薦めの方法はありますか」

ヨーギー「神を常に思って、神を瞑想すること。その神というのは、本当は形も名前もないです。そしてまた、それは自分自身の中に在る純粋な意識。それは永遠の存在です。心はそれではないのね。心はいつもその純粋な意識によって見られています。その見ている意識が本当のあなた自身。それを神ともいいます。そしてまた神は人の形を取ることもあります。だから形がなくて思うことが難しければ、姿を持った神を思ってください。それはブッダでもいいし、またインドではシヴァとかクリシュナとかカーリーとか、いろいろあります。好きな神を理想として思ってください」

アヤノ「神への瞑想はどのようにしますか」

ヨーギー「神に憧れ、好きになって、愛すること。そしてできるだけ神が歓ぶ行為をする」

アヤノ「最近はブッダに瞑想をしています。でもブッダを目の前にしても、神を愛することが何なのか分からないです。自分の悩みがたくさんあって、いつも神に何かを要求しているようです。神を愛することが分かりません。人を愛することもできません。この二つのことは同じことだと思います。どうしたらいいでしょうか」

ヨーギー「神に何かを要求してはいけない。そうではなくて、神と一つになる、神に溶け込むように一つになるように願うこと」

アヤノ「瞑想する時、どのようにすればもっと神と一緒にいる時間を長くすることができますか」

ヨーギー「繰り返し繰り返し、神を思うことを続けていく」

アヤノ「常に神を思うことですか」

ヨーギー「そうです、そうです」

アヤノ「がんばります」

師のブッダへの瞑想

キャリー「プラサーディニーに瞑想の時は神の本質に近づくように言われましたが、よく分かりません。神の本質とは何でしょうか」

ヨーギー「神の本質は永遠の存在。そしてそれは至福。それで十分(笑)」

キャリー「今ブッダに瞑想をしているのですが、もっとブッダのことを知りたいです。それは本を読むことでしょうか」

ヨーギー「そんなにたくさん本を読む必要はないです。それよりもブッダのイメージ、仏像でもいいし、イメージに集中をしていけばいい」

キャリー「最初はイメージに瞑想しましたが、本質にいかず、形だけに留まっているような感じでした。もっと深く入ることができません」

ヨーギー「日本でも台湾でも同じですけれど、仏教の国でもあるから、仏像というものを皆よく見ていると思う。

じゃあ今から、私自身がブッダにどのように瞑想をしていたかをお話ししましょう。京都はとっても古い都の町です。そのため、大きなお寺がいっぱいあります。でも私はそういうものには興味はなかった。私が関心をもったのは、ブッダはどういう人物で、どういう境地だったのかということです。そしてブッダは何を悟ったのか、その中身を知りたかった。そしてブッダという言葉と彼が生存していた昔のシーンに瞑想していきました」

プリヤー「シーンというのは物語ですか」

ヨーギー「物語というより、時間と空間を超えて、昔のブッダの時代に集中していった。そして瞑想の中でブッダは本当に最低限度の布(きれ)をまとっている姿でたたずんでいた、座っていた。そして朝がきたらおもむろに起き上がり、托鉢に歩く。そしてまた座る。そして時には多くの弟子や信者たちに教えを授ける。そういう姿が毎日毎日続いていた。弟子や信者たちはいろんな質問をする。そしてブッダはそれにふさわしい助言を与え、答えを導き出す。それを聞いた、教えを授かった弟子たちは皆、とても霊的に引き上げられた。ブッダを思うと、ブッダの50年近い教えの姿は何も変わらない。(通訳を補われるように)ブッダそのものは50年間近く全く同じ姿、同じ境地。彼は本当に真実の、永遠の存在であった。そして彼自身がさまざまな瞑想で得た答えが多くの人に与えられた。それがブッダの教えというもの。だからブッダを瞑想する時には、ブッダその人のハートに集中していけばいいと思うよ。この世界がどんなに変化しようと、いろんな人がいろんなことを言っても、ブッダは全く乱れることはない。ずーっと同じ。それこそが、それが真実の存在の至福にあったということです。そしてブッダの教えの究極は、(強調されて)“あなたもそれである”ということです。
そう、あなた方一人一人の本当の姿は永遠の存在であり、至福なのだということです」

一般常識や知識をはるかに超えるヨーギーご自身の体験に圧倒され、皆は言葉を失って、ただただヨーギーのお言葉に耳を傾けている。集中感はますます高まっている。

利他的行為の秘訣

パンパン「ブッダは悟りを啓いてから人々に奉仕されました。私たちもヨギさんから周りの人に奉仕をするように教えられますが、自分にはまだエゴがあって、ブッダのようにエゴのない奉仕はできないと思います。どのようにすればより良い奉仕ができますか」

ヨーギー「エゴなんて気にしないで、奉仕という行為を優先していけばいい。そうしていけば、エゴもだんだんなくなっていく」

パンパン「自分が行為しても相手は理解してくれなかった場合とか、あるいは相手が私の行為を喜んでいないなら、その相手の気持ちとどのように向き合えばいいでしょうか」

ヨーギー「行為する時の大事なところは、その動機です。何であれ、誰かに良いと思って自分が行為する、奉仕するならば、その結果はどうであれ、それでいい。結果を気にしてはいけない」

シンユン「この世界はカルマの法則の中にありますよね。そこで私たちは自由意志がないということを学びました。でもそのカルマの法則の中で、私たちが自由に選べることは何でしょうか」

ヨーギー「この世界は確かにカルマに従っています。じゃあそのカルマの主人公は誰かといえば、エゴ。そしてエゴは本当の私ではない、そうではなく、それを見ている純粋な意識が本当の私であるということを学びました。だから心が何かを思い、行為するという時に、その主人公を替えてやればいい。替えてやることです。(通訳を補われるように)そう、エゴから本当の私に、主人公を替える」

シンユン「ではできる限りエゴをなくして純粋な意識で行動すれば、それはカルマではないということでしょうか」

ヨーギー「それはカルマではない」

マールラー「純粋な意識で行動するのは、純粋な意識に至るということですか」

ヨーギー「そうです(皆笑)」

シンユン「でもまだエゴがある時はどうしたらいいですか」

ヨーギー「エゴというのは利己主義、自分に良いという思い、自分が所有しようという思いですから、それをなくして、他者の利益、利他的に思うこと。そうすればエゴはなくなっていく」

ソウ「日常生活でエゴが出てくる時があって、その時ちょっと高慢になってしまいます。どうしたらいいでしょうか」

ヨーギー(ユーモアたっぷりに)「反省しなさい(皆大爆笑)」

真剣な質疑が続いていた場が一瞬にして笑いの渦に包まれ、ソウも思わず照れ笑いしている。

ソウ「反省のやり方は、自分の心を空っぽにすることですか」

ヨーギー(笑われながら)「そうです」

根本原因をなくす

エミリー「プラサーディニーのクラスに何年も通っているのですが、今年になってから、私はヨーガの道を歩こうと決心しました。でも歩いていても、途中で時々心の中の暗い部分が出てきます。ヨーガの教えには識別という方法があるので、自分の暗い部分を識別してみました。でも時間がたつと、いろんなことにその暗い部分が同じパターンで繰り返して出てきます。自分のやり方が間違っていますか。それとも暗い部分に向き合った方がいいのでしょうか」

ヨーギー「心の思いには必ず原因があります。その原因を見つけ出すこと、そしてそれに対して真理の教えはどういっているのかを突き合わせることが識別です。大概の場合はエゴや個人的な性質みたいなものが影響して、心の思いに現れます。その心の性質というものが、経験によってつくられた煩悩というものになります。さらにその煩悩の原因を辿れば、そこには無知というものが見つかります。この根本的な原因を見つけ出してなくしてしまうことで、心がもっているさまざまな煩悩的執着は薄らぎ、なくなっていきます。完全に心の中から無知や煩悩、執着をなくしてしまうのには、少々時間がかかる。それは長い過去の時間、過去世をも含めたね、そういう中でつくられてきたものだから、手こずることもあるかもしれない。けれども、真実の教えというのは光に例えられる。その迷路のような暗闇の心の中をその光によって照らし出せば、すべては明らかになる。これからも根気よく識別を続けていってください。それこそが本当のヨーガの修行なのです」

ヨーギーの正面に座るエミリーは、ヨーギーを真っすぐに見つめながら、涙を流している。

ザォユァン「神は時間と空間を超えたものだと思います。生活の中で何かに悩む時、時間と空間を超えた状態の中でその悩みはとても小さくなると想像します。そうすると、イライラした気持ちはなくなります。そのやり方は大丈夫でしょうか」

ヨーギー(力強く)「はい、それでいいです」

ザォユァン「自分が思っている神は宇宙的で、とても大きなものです。その神の中にいると想像すると安心します。それも大丈夫でしょうか」

ヨーギー「それでいい、それでいい」

ザォユァン「最後の質問です(皆笑)。みんなの経験を聞くと、ヨーガに出会っていろいろな苦労を体験したようです。でも自分はもっと自由で楽しくこの世界にいられるように思います。楽観的すぎますか」

ヨーギー「いや、別にそれはかまわないよ」

ザォユァン「楽しく学んでもいいですよね」

ヨーギー「もちろん!(ヨーギー、皆笑)」

人との調和/呼吸と心の変化

ジュンミン「生活上や職場で、相手が望むことを強制させられることがあります。この状況はどのようにしたら変えられますか。あるいはどのようにしたら相手の考えを変えられますか」

ヨーギー「まず、それぞれの人の心の思いというのは違うものです。それはカルマが違うからです。だけど、そのカルマという執着が少なくなっていくに従って、人との融合する状態は多く生まれてきます。だから理想をもって接していけば、きっと相手の中にも同じ理想が反映してくると思う。ましてや真実というものは、二つとはない一つです。そこに近づけば近づくほど、人との調和は大きく生まれます」

ジュンミン「理想をもって人に接するというのはどういうことですか」

ヨーギー「それは自分の小さな執着や思いを棄てるということです」

ジュンミン「瞑想の時、もし自分が進歩したという思いがあれば、それは心の思いかもしれません。どのように判断できますか」

ヨーギー「何であれ、そういう思いをもつべきではない。それはあなた自身よりも、周りの人の方が気付いているはずですから(皆笑)」

ジュンミン「アーサナをしているうちに自分の内面的なところは変化しますか」

ヨーギー「します」

ジュンミン「その変化を気にしない方がいいですか」

ヨーギー「気にしなくてもいい。快適に気持ち良くなっていくようにすればいい。アーサナは直接的には肉体を強くして、弱いところを治したり、快適な健康状態にします。加えて私が教えているアーサナは、その中で呼吸を変化させています。呼吸というのは自律作用ですから、心がこうあったらといってもなかなかコントロールできない。だけどアーサナの中で、呼吸は確実に長い呼吸になっていっています。吐く息を長くしなさいと教えるのはそのためです。この自律作用である生理器官の中で、唯一変化を起こすことができるのは肺だということです。スポーツ選手なんかは、いろんなスポーツの中でそれを少しずつ身に付けているでしょう。ヨーガではそれをもっと確実に早く大きな変化をもたらします。そして呼吸と心との関係は密接であるということです。例えばいろいろな刺激がやってくる。するとそれに感情というものは反応して、心は乱れます。喜怒哀楽、喜んだり、怒ったり、悲しんだり、さまざまな感情の変化の時は、呼吸はものすごく乱れています。これはどうしようもない、自律作用だから。だけどヨーガをやっていれば、そのような刺激がやってきても心は乱れない。呼吸も同じく乱れない。これはヨーガが誰もに提供できる、ものすごく大きな贈りものです。そのようにして体も心も呼吸も、いつも平安な状態でいることができます」

心を本当の主の道具とする

プリヤー「ヨーガをやってきて、表面的なところや粗大なところは手放すようになったと思います。楽になりました。でも自分が進んでいないと感じて、改めて生きる意味は何なのか、本当の幸せと自由は何かを瞑想してきました。それで気付いたのは、例えばこの世の中で育てられて、その中で培われた価値観や観念がまだあって、手放していないということです。どうしたらいいでしょうか。生きる意味を続けて瞑想すればいいでしょうか」

ヨーギー「それはヨーガの教えに従って、瞑想や識別を深めていってください。確かにカルマとかサンスカーラといわれている執着をしている部分というのは、心に奥深くあるかもしれない。だけどヨーガを熱心に続けていっていれば、必ずそれらはなくなります。その微細な部分もやがてはなくなるはずです。その根本の原因は無知というものですから、それをしっかりと理解してなくせばいいのです。

春に台北に行った時、私が漢字、書きましたね(ヨーギー、皆笑)。ね、覚えています? 浄常楽我(皆うなずいている)。それが本来なのだけれど、心は間違ってそれを不浄とか非我とか、違ったものに思ってしまっている。それが心がつくり出す、根本的な間違いなのです。それを根本原因として、さまざまな執着がつくられてしまった。だからその心にくっついている影響は残っているかもしれないけれど、無知がなくなれば、それらもなくなっていきます。この世界というものは常に変化をしているわけだから、そこに絶対的な永遠を見ないこと。エゴは本当の私ではないから、私は純粋な意識であると思う。心はその純粋な意識である存在に見られている、一つの道具にすぎません。道具というのは、使い手という主人によってどのようにでも働く。包丁だってね、エゴが怒りの中にあれば、人を傷つけるかもしれない。だけど主人が神であったならば、それは美味しい料理を作ってくれる道具になる。ペンも人を傷つけることなく、人に優しい言葉を書ける。手も足も、そして心もエゴが主人でなかったら、本当のいい働きができる。それは人に優しく、人を愛する慈愛に満ちた行為が生まれます」

メイ(涙を流しながら)「ヨギさんに謝りたいです。ヨギさんのことはとても好きですが、自分のことをもっと愛していることに気付きました。このような自分は嫌です。どうしたらいいでしょうか」

ヨーギー「そうして気付いたことは良かったです。これからはそれを改めていけばいい。そして本当に私を愛しているのならば、あなたの周りにいる人たちを愛して、奉仕してください」

メイ「今回(ジャヤンティーに)来るかどうかを迷いました。ヨギさんに合わせる顔がないと思ったからです。自分は大きな失敗をしました。がんばります」

ヨーギー(明るく勇気づけるように)「そうですね、はい。もう過去は忘れて、今から」

本音を打ち明けられたメイは重荷を下ろしたかのように、合掌してヨーギーに「ありがとうございます」と頭を下げる。

リリー「キールタンを捧げる機会を与えてくださってありがとうございます。この機会を通じて、以前の自分はヨギさんの弟子としての意味を考えていなかったことに気付きました。ヨギさんの教えを使って、自分がより良くなるように利用していたように思います。でもそのような自分は本当に何も分かっていなかったです。改めてもう一度学んでヨギさんの弟子になりたいです。どのようにしたら本当のヨギさんの弟子といえますか」

ヨーギー「私が歓ぶことを思い、行為してください。それは真面目に修行すること。そして、さまざまなこの世界の誘惑や刺激から強くなること。だってこの真実には、この世界の宝より、もう比べものにならない至福があるのだから」

リリー「がんばり続けたいです。この道を歩む中で覚えるべきことはありますか」

ヨーギー「いつも神を思いなさい」

霊的家族と結婚

ツィイー「『ヨーガの福音』の中で、結婚した伴侶は同じ目標をもって神を思うのがいいと書いてあります。伴侶が現れることは意味がありますか。そして、私と伴侶と、私とグルバイとの関係には違いがありますか」

ヨーギー「結婚というものは、少なくともやはり二人のカルマが一致することで生まれます。そしてグルバイたちも、初めはみんなカルマをもっているかもしれません。しかし、ヨーガを学んで修行をしていくうちに、カルマは少しずつ少しずつなくなっていっています。それはやがては完全になくなります。こういう家族を霊的な家族、霊的な兄弟と呼ぶわけです。だから夫婦であっても理想を同じくしてヨーガを深めていけば、二人はグルバイであるし、霊的な夫婦、霊的な兄弟となります。そして夫婦という関係の中でお互いを励まし合い、助け合い、共にヨーガを深めていくことができる」

シンユン「では結婚の予定がある人は、修行をし続けたらカルマがなくなって結婚しなくなりますか。子供を産むかもしれませんが、カルマがなくなったら産まなくなりますか」

ヨーギー「それは人によって、いろんな事情、ケースによって違います。例えばみんながよく知っている、あそこにいるサーナンダ(皆笑)。彼が私のところに初めて来た時は婚約中でした。そして彼はヨーガを本気で修行したかったので、悩んだ。私は相談を受けて答えました。もし婚約をなくすならば、その相手に対しての不実が生まれる。決して結婚がヨーガの障害になるわけではない。それよりむしろ世の中の多くの人と同じように結婚をして、その中でヨーガを深めていきなさいと教えた。そうすれば多くの結婚をしている人たちにとっても救いになるだろう。そして彼はそれを実行して、二人子供をもうけて、今はヨーガを中心にやっています。だから決して、結婚は否定的なものではありません。要は、大事なことは、結婚をしようがしまいが、ヨーガを怠らずに深めていくという実行です」

イジン「霊的な伴侶が欲しいと思ってもいいですか」

ヨーギー「はい。あなたのヨーガが深まるに従って、それにふさわしい人が現れる」

台湾の法人化に向けて

プラサーディニーが現在の台湾の活動状況について報告する。今回の御聖誕祭に参加したグルバイたちはいつも熱心にクラスに通っており、最近のクラスや読書会では、ザォユァンやシンユンたちもスタッフとして手伝い始めているようだ。

ヨーギーは四月に五度目の訪台をされ、真理を求める魂たちに大いなる慰安とインスパイアを与えられた。そして、彼らはこれからの台湾でのあり方を考え、これまで目標にしてきた法人設立に向けて具体的に行動していくことを決心した。それは何より、ヴィヴェーカーナンダが愛する師、シュリー・ラーマクリシュナの福音を全世界に広め、残していったように、ヨーギーの普遍の教えと存在を、台湾の地においても未来の人々に残していくことへとつながるからだ。

そして法人設立にあたり、プラサーディニーたちからヨーギーに「マハーヨーギー・ミッション」の法人名の使用許可を願い出ると、ヨーギーは「私は歓んでそれを許可します」と同意された。
その後、法人申請に向けて必要な手続きや、その内容について確認と報告がされる。また、ヨーギーが初訪台された時のサットサンガの記録も、出版へと準備を進めているようだ。
一通りの報告が終わると、それまでずっと通訳をしていたプリヤーが声を絞り出すように話し始める。

プリヤー「台湾でがんばります。クラスも出版も法人化もがんばって、今度ヨギさんが来てくださる時に、もっと新しい人たちにヨギさんに会ってもらえるように」

ヨーギー「またきっと来年、台湾で皆さんにお会いできるのをとっても楽しみにしています。ありがとう」

ブッダから教えを授かった弟子たちは皆、霊的に引き上げられたという、まさにそのように、ヨーギーは惜しみなく祝福を与え、霊性を注ぎ込み、その場にいた弟子たち一人一人を引き上げられた。誰もがその圧倒的な恩寵の波にのみ込まれ、中には終始涙を流している者もいた。今回の京都滞在もまた、彼らにとって充実した輝かしい霊性の旅となったに違いない。帰国後もなお、ヨーギーから与えられた歓びは、ハートの中で途切れることなく続いているという。
2020年には法人が設立されることになる。台湾の地で、また一つ新たな幕が開こうとしている。