プロローグ 日々の暮らしにある神の美

サンプルページ:ヨーガの教え
*インドで長い間親しまれてきた『バーガヴァタ・プラーナ』。神話に描かれる、クリシュナ神の物語を細密画とともに紹介しています。

バーガヴァタ・プラーナ細密画 シリーズ(1)

サーナンダ

小さい頃、よく星空を観察しながら、漆黒の中に輝く星々の瞬きが生命をもつように感じて、何時間も飽きずに見ていたものでした。地上に目をやれば、山や川や海に囲まれた自然の中での人の営みは、とても豊かで生命力に溢れていました。今思うことは、大自然の営みや、何気ない日常の、とても身近な人々の営みの中にこそ、真理の輝きを感じるのかもしれません。万物は不滅の神性に支えられており、私たちは日々の暮らしの中で四六時中その大いなる存在に囲まれているのですから。
今回「バーガヴァタ・プラーナ細密画シリーズ」を連載しようと思ったのは、まさにそういう思いからです。

インドにはたくさんの神々がいますが、絶対者ブラフマンが人格をもって顕れたとされる3大神がいます。それが、ブラフマー神、ヴィシュヌ神、シヴァ神です。それぞれ、創造―維持―破壊を司っているといわれていて、その中でもヴィシュヌ神はとても人気があります。ヴィシュヌ神は、この大宇宙や世界の運行を維持し、豊穣にさせる神であり、そのために世に不正がはびこる時、神の化身として人の姿を取って地上に顕現するといわれています。その八番目の神の化身がクリシュナ神です。

クリシュナ神といえば、インド大叙事詩『マハーバーラタ』の中にある神の詩『バガヴァッド・ギーター』で、勇者アルジュナにヨーガの教えを説いた神の化身としての姿を思い起こします。そこでは王子クリシュナは、神の化身として人々を救済し、無執着の行為や神への帰依など、4つのヨーガを説いています。その魂を鼓舞するような力強い教えから『バガヴァッド・ギーター』を好きな方は多いでしょう。多くの人の生きる礎になっていることは間違いありません。

一方、本誌34号から連載しましたが、詩人ジャヤデーヴァが記したクリシュナとラーダーの愛の物語『ギータ・ゴーヴィンダ』では、クリシュナは神の化身ではあるのですが、ヴリンダーヴァンの森の中で愛人ラーダーと甘美な真実の愛を交歓する姿として描かれています。『バガヴァッド・ギーター』のクリシュナ神とはずいぶん性質が異なりますが、クリシュナはラーダーや牛飼い娘たちとの幸福な日々の後に、王子の役割を果たしたのです。

今回紹介する『バーガヴァタ・プラーナ』は、ヴィシュヌ神の神話ですが、その中に、人々がクリシュナ神に親しみ、敬愛し、近づいていくために語り継がれてきた物語があります。クリシュナ神が悪王カンサを倒すために、一人の人間として誕生してからさまざまな活躍をし、ついにその使命を果たすまでの物語です。その中に、あのゴーピー(牛飼い娘)たちとの愛の物語も含まれています。

バーガヴァタ・プラーナ細密画 (15)ラーサの遊戯より

神は大宇宙を創造し、時間と空間と因果律を司り、生命を造った偉大な存在ですが、この物語では、そういう神の偉大さではなくて、もっと身近な愛深い親しみを感じるでしょう。なぜなら、インドの牛飼いを生業とする人たちと同じ暮らしの中にクリシュナ神が登場し、多くの人が時折遭遇する身近な出来事を通してクリシュナ神が活躍するので、まるで一緒に生活し、暮らしているかのように感じるからです。愛をもって神に近づこうとする時、畏れは不要で、親しみだけが必要なことだと思います。
それを象徴するようなエピソードを、一つ紹介しましょう。

クリシュナが小さい頃、ある時、彼が泥土を食べていると牛飼いの友達が養母ヤショーダーに言いつけました。ヤショーダーはクリシュナを呼びつけ叱責しましたが、クリシュナはやっていないと言い張りました。するとヤショーダーはクリシュナに口を開けて見せてみなさいと命じました。クリシュナが口を開け、彼女がその中を覗き込むと、そこには、なんと、無辺に広がるサファイヤ色の海に漂う銀色の島のように、無限の大宇宙の中を運行する数千億のあまた輝く太陽や月、惑星や星雲があったのです! ヤショーダーは、この世界の一切がクリシュナの中にあることを見ました! しかし彼女は、この驚愕する光景に耐えきれず、畏れにおののき、目を閉じてクリシュナの足下に平伏しました。そして、彼女の息子が偉大なヴィシュヌ神そのものであることを理解したのです。その姿を見た主ヴィシュヌは、ただちに彼女の視界にヴェールをかけてその印象を消してしまい、彼女は改めて目の前にいる子供は、ただ彼女の愛する息子にすぎないという思いに戻ったのでした。

過ぎたる畏敬の念は、しばしば神を遠ざけてしまいます。ただ愛ゆえに、親しみをもって神に近づくバクティ・ヨーガは、このエピソードのように、神ご自身の恩寵によって示された道なのだと思います。『バーガヴァタ・プラーナ』は、神への信仰を育み、神とともに生きるために、長い間インドで親しまれてきた物語なのです。

その神の愛に触れた詩人たちのハートから溢れ出た詩や物語は、優れた画家たちにインスピレーションを与え、数々のインド細密画の傑作が生み出されてきたわけです。本誌でも四十四号から『ギータ・ゴーヴィンダ』をモティーフとした細密画を紹介してきました。そこでは、クリシュナとラーダー、つまり神と魂の親密な関係が描かれています。その関係を表した詩の中で、とても胸に残るスワーミー・ヴィヴェーカーナンダの詩があります。以前も本誌で紹介させていただきましたが、もう一度紹介しましょう。

われ汝について何も知らず
知れるはただ
われ汝を愛す、ということのみ
汝は美し、おお汝は美し
汝は美そのものなり!

今回連載していく『バーガヴァタ・プラーナ』の素晴らしさは、まさにその神の美しさが、日常の中にあることです。それはどこか遠くにあるものではなく、瞑想の中でしか味わえないものでもない。それは毎日の生活の中にあり、愛の目をもって見れば、あらゆる物事の中に神の美しさを見ることができます。クリシュナ神が生きたインドは牧歌的な豊かで美しい光景が広がっていたことでしょう。夕暮れに牛たちが家へ帰る時に巻き上がる土埃に、傾いた太陽の光が射し込む中に、神の戯れを感じるかもしれません。牛飼い女たちが毎日の家事や洗濯、料理をする姿やミルクをかき混ぜる姿、水を井戸から汲み運ぶ姿の中に、母なる女神の力強く優雅に働く美しい姿を見るでしょう。あるいは、孔雀たちが見事な美しい羽を広げて求愛のダンスを踊る中に、灰色がかった群青の雲を横切る真っ白なサギの飛ぶシーンの中に、子供たちがはしゃぎ遊び戯れる姿の中に、牛たちが川辺で水を飲む中に! あらゆるものの中に、神の愛の美しさを見ることができます。

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今号で紹介する細密画は、ちょうどそのような牧歌的なインドの暮らしの中にいるクリシュナ神と人々の様子が描かれたものです。まだ色を付ける前のイラスト画ですが、私はこの絵がとても好きなのです。この絵には、幼子クリシュナの一族が、ヴリンダーヴァンへの旅の途中にヤムナー河の川辺でテントを張り、一休みしているシーンが描かれています。クリシュナと彼の幼馴染みのバララーマが家族にあやされている様子が中央右に描かれています。子供が嬉しそうに川で泳ぎ、牛たちが一息ついて水を飲んでいます。クリシュナの家族の前では牛たちが集まり、何だか話し合っているようです。牛飼い女たちが頭に壺を乗せて話しながら水を運んだり、牛の乳を搾ったり、さまざまな様子が描かれています。生き生きとした暮らしの様子が描かれ、生命の輝きに満ち溢れているように感じます。きっとクリシュナが生きた時代もこのような様子だったのでしょう。そしてこの絵には愛するクリシュナ神の幼子の姿が見られます。その真実の存在の姿がこの細密画に生命を吹き込み、輝きを与えているような気がします。見事な一幅です!

この絵のように、もしクリシュナ神がハートの中にいれば、日々遭遇するあらゆる出来事が生き生きと輝き出すに違いありません。

次号からは、『バーガヴァタ・プラーナ』に描かれているクリシュナ神のかくも不思議で面白い数々のエピソードを細密画で紹介しながら、クリシュナ神の物語を紡いでいきたいと思います。きっとこの物語が終わる頃には、クリシュナ神がとても好きになり、身近に感じていることでしょう。

原本は『KANGRA PAINTING OF THE BHAGAVATA PURANA』(バーガヴァタ・プラーナのカングラ細密画シリーズ)という1960年に発行された本です。