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ヨガナンダの生涯

ヨガナンダの生涯ムクンダ誕生
パラマハンサ・ヨガナンダ(ムクンダ・ラール・ゴーシュ)は、1893年1月5日、インドのゴラクプールにて、敬虔で裕福なご両親のもとに生を受けました。
ご両親は共にラヒリ・マハサヤの弟子であり、ラヒリ・マハサヤは赤子のムクンダを抱きかかえ、このように予言されました。
「若いお母さん、あなたの息子さんはヨギになりますよ。神と人との懸け橋になって多くの魂を神の国に導いていくでしょう」

強烈に神を求めるようになった少年時代のムクンダは、悟りを啓いた師を求めて、インドの多くの聖人賢者の下を訪ねました。また時にはヒマラヤに逃亡してはお兄さんに捕まってしまうということもありました。

17歳 師に巡り会う
ついに師、スリ・ユクテスワに出会います。ムクンダが、初めてスリ・ユクテスワにお会いした時、無言のうちに、このグルが真に神を知る人であり、自分を神に導いてくれる人であることを感じ取りました。そしてその時、ムクンダには遠い前世の記憶が蘇ります。
「この太陽の下で、私がこの聖者の足もとにひざまずいたのは、これが初めてではなかったのである!」

ムクンダは10年間の多くを、師の僧院で厳しくも愛に満ちた霊的修行を受けて過ごしましたが、この僧院には、お父さんに買ってもらったオートバイで通ったという、なんとも近代の聖者らしいエピソードが残っています。

23歳 僧侶となる
師と同じスワーミー教団に入団して僧侶となったムクンダは、師より名前を選ぶ特権を与えられ、神との合一(ヨーガ)を通しての至福(アーナンダ)という意味をもつヨガナンダとなりました。ちなみにパラマハンサという称号は、これよりずっと後に師から与えられたものです。

25歳 子供たちの教育に着手
師の下で修行を続けるヨガナンダにある日、師はこう仰いました。
「お前はどうして団体的な仕事をきらうのだね?……もし、寛大な心をもった大師たちが、進んでその知識を分け与えてくれなかったら、お前にしてもだれにしても、ヨーガによる神との交わりを実現することはできなかっただろう。……神を蜂蜜とすれば、それを分かち合うための団体は巣箱のようなものだ。……お前はもう十分な霊的甘露をたくわえている。そろそろ巣箱の建設に取り掛かるべきだとは思わないかね?」
それを聞いてヨガナンダは決意します。「そうだ! わたしは今まで先生のもとで学んできた人間解放の真理を、できるだけ多くの人々に分かち与えなければならない!」
こうしてヨガナンダは初めに7人の子供たちの教育から着手し、その1年後には、なんと入学希望者が2千人を超えたといいます。

その後、大勢の子供たちを受け入れる学校がランチに設立され、その学校の物置部屋でヨガナンダが瞑想をしている時、大勢のアメリカ人の顔が浮かんできたそうです。『あるヨギの自叙伝』では、「神様が私をアメリカに呼んでいらっしゃる」と記されています。

27歳 アメリカに渡る
神のご計画を知ったヨガナンダの元には、アメリカで開催される宗教会議にインド代表で出席してほしいと招待状が届きました。それを聞いたスリ・ユクテスワは、何のためらいもなく答えられました。
「すべてのドアがお前のために開かれている。今をはずすと、機会は二度と来ない」

その後ヨガナンダは初めてババジに会い、西洋にクリヤー・ヨーガを広めるという使命を授けたのは私であると、ババジから直接伝えられたのでした。

38歳 スリ・ダヤマタが弟子となる
ヨーガの福音を広めるため、多くの講演を行ない、多忙を極めていったヨガナンダの下にダヤマタがやってきました。彼女はヨガナンダの講演を聞くと直ぐに弟子となり、ヨガナンダの講演や講話を後世のために忠実に記録するという神聖な役割を引き受けられました。

42歳 師との最後の日々
「ヨガナンダ、帰って来い。わたしはお前をもう15年も待った。わたしは間もなく肉体の衣を脱いで、輝く天の家に帰る。すぐインドへ帰って来い」
瞑想するヨガナンダの心耳にスリ・ユクテスワの声が響いてきました。
こうして42歳の時にインドに帰国したヨガナンダは、グルとの最後の時を過ごしました。

スリ・ユクテスワが肉体を離れたことに打ちひしがれたヨガナンダでしたが、師はヨガナンダの前に復活され、魂は永遠であることを教えられました。

43歳 弟子からの贈り物
約1年半のインドと世界の旅行を経てアメリカに戻ったヨガナンダには、弟子たちが用意していた贈り物がありました。それは、かつてヨガナンダが何度も瞑想で見た3つの建物のうちの1つ、エンシニタスにある太平洋に面した丘の上の僧院だったのです。
あとの2つは、ランチの平地に建てられた少年のためのヨーガの学校とロスアンゼルスの丘の上に建てられたSRF本部です。

53歳 『あるヨギの自叙伝』出版
世界は第二次世界大戦が勃発し、サナータナ・ダルマの教えが必要とされていました。この頃からヨガナンダの中で何かが変わり始め、度々サマーディに入るようになり、近づきがたい存在になっていきました。そして何かに追い立てられるように朝から晩まで執筆し、時には口述したものを弟子に書き取らせて『あるヨギの自叙伝』を完成させました。

59歳 マハー・サマーディ
1952年3月7日、パラマハンサ・ヨガナンダは大勢の人々の前で、マハー・サマーディに入られました。